上野の都電を写した古い写真を見ると、線路が今のどこを通っていたのか気になります。手がかりは駅前だけでなく、不忍池の周辺にもあります。
地域情報メディア『タイトウタイムズ』のエリア担当ライター、ハルです。今回は、池之端の保存車両と公的な写真資料を入り口に、上野を走った都電の歴史をたどります。
昔の路線と、現在見学できる場所を分けて整理しました。散歩前に知っておくと、街を眺める楽しみが一つ増えそうです。
池之端の児童遊園に都電の車両がある

上野周辺で都電の姿を見たいなら、池之端児童遊園の保存車両が手がかりになります。台東区の施設案内にも、都電の車両が園内の特徴として掲載されています。
所在地は台東区池之端2丁目9番8号。面積303.25平方メートルの児童遊園で、サクラとカイドウも植えられています。大きな鉄道展示施設ではなく、地域の小さな公園です。
- 散歩の目的地
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池之端児童遊園/台東区池之端2丁目9番8号
- 施設についての問い合わせ
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台東区公園課公園管理担当/電話03-5246-1321
不忍池の東側にも線路が通っていた
都電は、広い道路の中央だけを走っていたわけではありません。不忍池の東岸には、道路の自動車と走行空間を分けた専用軌道の区間がありました。
東京都道路整備保全公社の広報誌は、上野広小路側から池の東側を通る経路を紹介しています。駅前の写真だけでは分からない、池の周辺を通る路線があったのです。
ハル池の東側にも電車の通り道があったんですね


池のそばを走った3つの系統を知る
この区間を通ったのは、20・37・40系統です。同じ線路を複数の系統が使っていたため、写真を見るときは車両の形だけでなく、系統番号も手がかりになります。
同公社の解説では、37・40系統は1967年12月、20系統は1971年3月までとされています。上野の都電が一度にすべて消えたわけではありません。場所と系統ごとに時期を確認するのが大切です。
東京の都電が減っていった背景を知る
東京都交通局によると、自動車の増加に伴い、線路内へ車が入ることで輸送効率が低下しました。1967年から1972年にかけて、181キロメートルの路線が廃止されています。
現在の荒川線につながる区間は残り、1974年に27系統と32系統が一本化されました。上野の廃線の歴史と、今も走る都電荒川線の歴史は、ここでつながります。
1963年の上野広小路を写真で見る
東京都の「東京アルバム」には、「上野広小路の都電 1963年1月」という写真資料があります。画像番号は0023413。撮影場所と年月が明記され、年代を確かめながら見られます。
2026年から数えると1963年は63年前です。紹介記事にある「何年前」という表現より、写真自体の撮影年を確かめると、別の年代の風景と混同せずに済みます。
- 東京都「東京アルバム」で「上野広小路の都電」を探す。
- 写真の撮影年月と、紹介記事の公開年月を分けて確認する。
- 看板や建物を比べる際は、撮影位置が同じとは限らないことに注意する。
1965年の上野駅前も資料でたどる
「メトロアーカイブアルバム」には、1965年の上野駅前を記録した「都電の走る街」があります。サイト内の駅名「上野」から探せる資料です。
同じ上野でも、広小路、駅前、池の周辺では景色が異なります。写真の場所と年代を一組で読むと、一枚の印象だけで当時の街全体を捉えずに済みます。
写真の説明を読んだら、電車と道路、周囲の建物の位置関係に目を向けてみてください。撮影場所の名前だけでは分からない、街の様子を読み取る楽しみがあります。
保存車両と当時の路線は分けて見る
公社の広報誌によると、池之端に保存されている7500形は、荒川線で活躍した車両です。昔の上野の写真に写る車両と、同じ一両だと決めつけることはできません。
現在の展示と、かつてその場所を走った路線。それぞれを知ることで、保存車両を地域の歴史への入り口として楽しめます。車内に入れるかなど、展示の利用条件は現地の案内に従ってください。
上野広小路や上野駅前の写真を見て、撮影年と場所をメモします。
池之端児童遊園で車両や現地の案内を確認します。歩行者や公園利用者を優先して見学しましょう。
次の上野散歩で都電の歴史に触れる
出かける前に、東京都の写真資料を一枚見て、池之端児童遊園の場所を地図で確かめておくと、散歩の目的がはっきりします。
調べて印象に残ったのは、不忍池のそばを3つの系統が使っていたことでした。池を眺めるだけの散歩にも、電車が行き交った時代を想像する楽しみが加わります。
みなさんも上野を歩く機会に、保存車両へ少し足を延ばしてみませんか。写真で気になった場所を一つ決めるだけでも、いつもの散歩に小さな楽しみが加わりそうです。













